出身・入社・入門・NSC:広島県立吉田高校
受賞歴
代表歴:U-20(2001ワールドユース)、U-23(2004オリンピック)、A代表2005~2013(2006ワールドカップ)
受賞歴:Jリーグ優秀選手賞(2005,07,12)
Jリーグベストイレブン(2012)
経歴
1994年-1996年 海南市立第三中学校
1997年-1999年 サンフレッチェ広島ユース
2000年-2007年 サンフレッチェ広島
2008年-2015 ジュビロ磐田
2016年7月-2018年 アビスパ福岡
2019年-2022年 FC今治
実績
中学3年生時に地元初芝橋本高等学校、ガンバ大阪ユース、ジェフユナイテッド市原ユース、サンフレッチェ広島ユースからオファーがあったが1997年広島ユースへ入団した。ユース時代からウイングバックとして活躍し高校3年次には同級生の森崎和幸・浩司兄弟とともに2種登録選手となる。
2000年、サンフレッチェ広島とプロ契約する。翌2001年、ヴァレリー・ニポムニシに見出され、右SBとして沢田謙太郎からレギュラーを奪う。その後も安定したプレーぶりを見せ、その年の2ndステージ3位になる原動力となった。それ以降も右のアウトサイドのレギュラーとして活躍した。
2003年8月16日対横浜FC戦で左膝前十字靭帯を損傷。懸命なリハビリを続け、2004年4月29日ナビスコカップ対横浜FM戦で復帰した。駒野不在の間、広島の右サイドのレギュラーに定着した選手はいなかった。
2004年8月18日、アテネ五輪ガーナ戦で左鎖骨を骨折。2005年には本調子を取り戻し佐藤寿人とのコンビでチャンスを量産、右SBながら9アシストという数字を残した。
2008年、広島のJ2降格を機にジュビロ磐田へ移籍。
2009年、背番号が広島時代と同じ5に変わり、ポジションがMFからDFに変わった。
2010年、去年に引き続きサイドバックとして活躍するも、日本代表の国際親善試合での怪我によりシーズン後半は出場することができなかった。
2011年、右サイドバックとしてリーグ戦全試合フル出場をし、攻守両面でチームに貢献した。
2012年も、リーグ戦全試合に出場し自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2013年、第23節アルビレックス新潟戦にて、J1通算350試合出場を達成する。
2004年にアテネオリンピックサッカー日本代表として招集された。
A代表には、2005年東アジア選手権で初招集され、8月3日の中国戦で代表デビュー。
2006年には2006 FIFAワールドカップ日本代表に選出された。レギュラーであった加地亮の負傷により本大会初戦のオーストラリア戦では先発メンバーに起用された。
2010年6月に開催された2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合の合計4試合全てで右サイドバックとしてスタメン出場を果たし日本の決勝トーナメント進出に貢献した。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では、延長戦を経ても0-0のままPK戦となり5-3で敗れ、日本代表初のベスト8進出はならなかった。
2011年10月11日、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のタジキスタン戦で代表初得点を含む1ゴール2アシストの活躍をみせた。代表通算65試合目の出場での初得点は、日本代表史上最も遅い得点となった。
東アジアカップ2013では、チームキャプテンを担当した。
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